【展覧会】堺に生まれた女性日本画家『島成園 展』(2019年1月5日〜27日)in さかい利晶の杜

開催中です(1月27日迄!)

 

こんにちは!
今回は皆様に、大阪府堺市にございます さかい利晶の杜 にて
現在 開催中の『島 成園 展』(しま せいえん展)のご案内を申し上げます(^-^)/

 

私も早速、観覧して参りましたよ(#^.^#)🚌=3
会期が1月27日迄の展覧会につき、
先ずは 急いで展覧会のチラシと共に、開催情報をご案内させて頂きます!

ご案内の後、拙筆ではございますが、
私の感想を交えながら 今回の展覧会の展示内容をお伝えさせて頂きます。
こちらの記述に関しましては、展覧会場である施設のご紹介、
解説、私からの絵や芸術についてのお話になりますので、お時間のございます方、
ご興味をお持ち頂けました方にオマケとしてお付き合いを賜れましたら幸いでございます。
(凄く長文になっております為… (^_^;)ゞ

 

それでは、どうぞ、展覧会情報を差し上げます (^。^)/-))

 

 

島成園展チラシ2019年表

 

 

会期 2019年1月5日(土)~2019年1月27日(日)
 休館日 企画展開催中は1月15日(火)・16日(水)
開館時間 午前9時~午後6時(最終入館午後5時30分)
会 場 さかい利晶の杜 2階企画展示室
主 催 堺市
料 金 観覧料 大人300円(240円) 高校生200円(160円) 小中学生100円(80円)
「千利休茶の湯館」「与謝野晶子記念館」の観覧券で企画展示室にもご入場が出来ます。
※( )内は10名以上の割引料金

■展覧会場でアンケートにご回答をされた方には、本展覧会の図録無料で頂けます!残部が少なくなっているとの情報を頂きました。お早めのご来館をお勧め致します。
是非、ご記入をお忘れなく(*^-^*)!

※ 本展や施設の詳細、交通機関、その他のお問い合わせは、さかい利晶の杜へお願い申し上げます。

 

 

島成園展チラシ2019年裏

 

 


 

 

改めまして、こんにちは!(#^-^#)
私も早速、『島成園展』を観て参りました

皆様にも島成園(1892〜1970年)と言う名の画家を知って頂きたいとの想いから、
会場施設のご紹介、解説、展示場内のレポートを書いておりましたら、大変長い記事になってしまいました。
記事と申しますより、もはや 読み物の文字量…(;^-^A
殆どが私個人の目を通してのご説明になっております。
その部分は私的なものである為、この様にわざわざ記事にせずとも良いのかもしれないのですが、
当教室のご生徒様や 私の周囲の方々から頻繁に
『絵が分からない』、『絵の見方(鑑賞の仕方)が分からない』
『展覧会をどの様に観たら良いのかが分からない』、『楽しみ方がよく分からない』とのお話を伺います。

私が何を観て、どの様に感じ、何を考えたのか。
これらを文字に換えてここにお伝えする事で、『分からない』とのお気持ちを抱かれている方々の疑問解決の一助、
ご鑑賞される際の何か糸口になれるかもしれないと思いましたので、敢えて遠慮はせずに沢山書かせて頂きました。

美術鑑賞は、自分一人の想いで置いておくよりも、沢山の人と感想の交換をすると、より楽しめます。
共感したり、その反対であったり…。
他人の目を借りると、自分が気付かなかったもの、注目していなかったものを知る事に繋がります。
それが、次の鑑賞の機会に生かされて、もっと深く作品を感じ、観る事が出来る様になります。
もし、絵や美術について『分からない』との気持ちをお持ちになられましたら、是非あなたの周囲の方々とお話をされてみて下さい。
絵を愛される皆様と、この度の展覧会をご一緒出来ましたら嬉しく思います(^-^)

 

 

利晶の杜・外観(堺市)

利晶の杜・外観(堺市)

 

会場であるさかい利晶の杜とは、堺が生んだ千家茶道の祖であり、わび茶の大成者として知られる 千利休(せんのりきゅう)と、
日本近代文学を切り拓いた歌人 与謝野晶子(よさのあきこ)の生涯や人物像等を様々な形で紹介している記念博物館で、
堺の歴史・文化の魅力を発信している文化観光施設です。

この館内に在ります千利休茶の湯館、与謝野晶子記念館の様子も写真におさめて参りました📷
こちらにつきましては、後日 改めて皆様にご紹介出来ればと思います(^_^)

今回の展覧会は、同じく堺市出身である女性日本画家、 島成園にスポットを当てた、堺市主催による企画展になります。

 

私は夕方近くの来館でしたので、外観の様子は、灯りの燈ったお写真になりました。
( ※ 掲載をさせて頂いておりますお写真は、利晶の杜の方に撮影、掲載の許可を得ております。)

 

 

利晶の杜・正面入り口(堺市)2

利晶の杜・正面入り口(堺市)・未だ出来て間も無い為、建物全てが新しくて綺麗です

利晶の杜・入り口

利晶の杜・入り口・お正月飾りでのお出迎えでした

 

私達が島成園の作品を目に出来る機会の多くは、
大正、昭和を生きた女性日本画家として、他数名の画家達と一括りに扱われる展覧会でした。

しかし今回は、堺市の主催により、成園作品のみによる、成園の為の『島成園』展が開催されております。
これは、歴史的に見ても記念碑的な大きな出来事であり、
それがこの成園生誕の地、大阪、堺で行われる事に大きな意義があると思います。

美術史上では、島成園は残念ながら未だ知る人ぞ知る画家であると申しても過言ではないかもしれません。
かく言う私も、お恥ずかしながら成園の存在をはっきりと知る出会いを得たのは、つい最近の事でした。

私は昨秋、堺市立東文化会館で開催されました堺市所蔵作品展(毎年開催)に於いて、
島成園と言う画家の作品数点を纏めて目にしました。
恐らく、それまでにもきっと目にしてるのですが、
この時が初めて、一人の日本画家としてはっきりと認識を致した出会いでした。
( これは言い訳になってしまいますが、今迄は、展覧会場内での展示数、
展示の順番や解説のされ方が原因で成園を見過ごしてしまい、
私の記憶に残っていなかったのだと思います。
成園が日本画家達として一括りに取り扱われていた為かもしれません。)

衝撃的な出会いでした。
本展覧会にも、その作品(チラシ表面に使用されている『影絵』)他が展示されています。
一目見た瞬間に、何と純潔で嫋やか(たおやか)な女性像なのだと驚きました。
そして、はんなりと言う日本語を絵で表現するとこの様に成る、そう感じました。
考え尽くされた無駄の無い線、構図。
必要最小限にして最大の仕事が成された繊細な画布。
技量はご覧の通り、語るまでもありません。

所謂 美人画でありながら、そこには女性性を狙った衒い(てらい)は無く、気品が漂い、
只々美しさがそこには存在していました。
私は一瞬で島成園と言う画家に魅了され、この画家をもっともっと知りたいとの想いに駆られました。
そしてこの度の島成園展の開催。 誠に幸運です。

さて、前置きが長くなりましたが、それでは展覧会場に参りましょう(^-^)🌟

 

 

島成園展 入り口

 

展覧会場は、建物の2階になります。それでは、会場に入りますよ(#^-^#)
会場内は撮影が禁止の為、図録のお写真をお借りして、私が印象に残った作品を取り上げてご紹介、お話をさせて頂きます。

 

大正期の島成園 ポートレート(大阪中之島美術館準備室蔵

大正期の島成園 (大阪中之島美術館蔵)

 

展覧会場に入ると、真っ先に目の前に現れたのが、大きなこのポートレートと解説文が書かれたパネルでした。
高さ二メートルはあったでしょうか。
企画、ご準備下さった皆様と成園さんに、嬉しい歓待を受けました。有難うございます。

“ 貴女が成園さんなのですね⁈こんにちは、初めまして!
今日は貴女に会いに参りましたよ、会えるのを本当に楽しみにしていたのです(^-^)
今日はどうぞ宜しくお願い致しますね ”
と、心の中で 一人お辞儀…”<(_ _)>(笑)

凛としたその強い眼差しに、作品と重なるものを感じました。

 

島成園(本名:諏訪成榮)は、明治25年(1892年)、
大阪府堺市の熊野町(くまのちょう)に父・島栄吉、母・千賀の長女として生まれます。
絵師である父の影響を受け、図案家である兄の仕事を手伝いながら、独学で絵の道に進みました。
第六回 文部省美術展覧会(文展)に出品した大作『宗右衛門町の夕』が若干 二十歳にして初入選、画壇に華々しいデビューを飾ります。
そして、一躍その名が知られ、やがて大阪画壇の寵児に。
当時、同じく女性日本画家として活躍していた京都の上村松園(1875〜1949年)、
東京の池田蕉園(1886〜1917年)らと共に、『三都三園』と並び称されました。

 

今回の展覧会では、残念ながら『宗右衛門町の夕』の展示はございませんが、
同作品の一部を抜き出し再度制作された、同名の作品(130×56㎝の掛け軸)が展示されています。
それと共に、入選の際に授与された褒状(表彰状)も展示されています。
そこには当時審査員を務めた川合玉堂、横山大観、竹内栖鳳等の巨匠の名が連なっておりました(◎_◎;) !
厳しい環境の中で皆と凌ぎを削っていたのですね…。
私はこれを見て、少し体感温度が下がりました(笑)

 

『 祭のよそおい 』島成園・大正2年(1913年)大阪中之島美術館準備室蔵

『祭りのよそおい』島成園・大正2年(1913年)大阪中之島美術館蔵

 

こちらは、『宗右衛門町の夕』出品の翌年、
第七回文展に入選し、再び褒状を得た『祭のよそおい』と題された 縦142× 横284㎝の大作です。
チラシの裏面に掲載されていた為、私が実物に会えるのを楽しみにしていた作品の一つです。
期待通りの素晴らしいものでした。

先ず驚かされたのは、制作時の年齢です。成園21歳。
今で申せば大学三年生。皆様、信じられますか(笑)
成園が、どれ程技量に秀でていたのかは既に一目瞭然ですが、クローズアップしてさらに観て参りましょう。

三人並んだ女の子達。その右端に座る子の着物は、黒地に、朱色の亀甲繋ぎの絞り染め模様で、
ぼかし技法の表現が巧みに使われた とても写実的な描写です。
成園が図案家である兄の仕事を手伝っていたと言う話に頷けます。

一方で、背景、特に幔幕(まんまく)に描かれた家紋は、驚く程 平面的な描写になっています。
思わず、え?描くのが面倒だったのかしら?
それとも、描けないからこう言った表現なのかな?と思える程に、あっさりと描かれています。

そして、主役である人物達に視線を移すと、射抜かれた様な衝撃が走りました。

 

『祭のよそおい(部分)』島成園・大正2年(1913年)大阪中之島美術館蔵

『祭りのよそおい(部分)』

 

顔の描写が、一人一人の表情の表現が素晴らしく、
特に眼の描写力が卓越しており(まるでレオナルド・ダヴィンチのスフマート描法の様な描き方)、
このお写真では成園の繊細な筆遣いや作品の美しさがお届け出来ないのが非常に残念です。
是非、実物をご覧頂き、四人の表情が語る言葉に耳を傾けて頂きたい作品です。

背景を敢えて端的な描写に留め、人物達の顔の描写に心血を注ぎ込みました。
これらの企て、技法のコントラストにも目を見張ります。
紛れも無く、島成園の画家人生においての傑作、代表作です。
成園、21歳の美しき野心作。

 

(※ この作品はガラスケース内に展示されています。
ご観覧の際は、オペラグラス又は双眼鏡ご持参される事を強くお勧め致します!
私は持って来ていたら良かった😥と悔やまれました…。
もっと近くで観たかったです👀🔎💦

そして あともう一つ、こちらのご鑑賞時にご注目を頂きたいのは、
作品資料として添えられている モデルとなった彼女達のお写真です。
構図もほぼ同じイメージですが、お顔が作品とお写真とでは異なっています。 モデルに似せようとしていないのです。
つまり、この作品では、成園の理想の美の形を描こうとしている事が窺い知れるのです。
〇〇ちゃんを描かずに、普遍的な子供の美の像を探求しています。
この様な資料を合わせた展示は、作者により近づけ、作品理解も深まります。大変有り難く拝見させて頂きました。)

 

『無題』島成園 ・大正7年 (1918年)大阪市立美術館蔵

『無題』島成園 ・大正7年 (1918年)大阪市立美術館蔵

 

そして次にご紹介致しますのは、本展覧会で私が個人的に最も会いたかった作品です。
こちらもチラシの裏面に掲載されております。
目にした時から、早く観たくて仕方がありませんでした。
何故なら、この作品は成園の自画像だからです。

私は極普通に、この様なお顔に特徴のある容姿の方なのだと受け止めておりましたが、
冒頭でご覧頂きました成園のお写真のお顔には、痣(あざ)は見当たりません。

当時、大阪日日新聞が『無題』と題されたこの作品をイラストにして掲載した新聞記事も展示されていました。
あまりにも信じ難く酷いものですが、現代ではこの記事が作品をさらに輝かせているものだと思いましたので、敢えてご紹介させて頂きます。

人物背後にある画布へ文字が書き込まれたイラストで、そこには

求婚広告

年齢二十七歳
月収三百円以上アリ
本人ニハ痣ナシ
右之女二 養子婿ノ男ヲ求ム

さらに、『無題』と言う題名について、
「何を描いたものであるのか…何故ソレに適合した畫題をつけないか、無題などと…は卑怯千萬だ」と非難したそうです。
成園の気持ちを考えると、同じ女性としても胸が痛みます。

成園はこの作品の説明として、
「痣のある女の運命を呪い世を呪う心持ちを描いた」と語ったそうですが、
この説明は正に、先にご紹介致しました新聞記事を書いた者や、同等の其れ等諸々の人間に向けた言葉であったのだと思います。
作品の理解が出来ない人を納得させる為に差し出した言葉ですが、果たして 彼等にこの日本語は理解出来たのでしょうか。

しかし、この作品の本意、真実はそうではありません。

痣は、人間の内面、人物の精神性を描き出そうとする芸術行為を理解されぬこの世、時代に対する成園の傷付いた心そのもので、
哀しみや諦め、自分の作品に対する自負がある一方で、
職業画家としてでは無く真に芸術に生きる画家として成していきたいとの願いの狭間で揺れ動く心の葛藤、
幾多の複雑で混沌とする成園の感情を具現化したものではないでしょうか。
この作品の題名を『無題』とした趣意は計り知れず、そして、最も適合した題名です。

貴女を信じて会いに来て本当に良かった、有り難う。
心からそう思えた 成園26歳の傑作です。

 

『美人十二ヶ月 ・七月七夕』島成園・大正9年(1920年)堺市蔵

『美人十二ヶ月 ・七月七夕』島成園・大正9年(1920年)堺市蔵

 

この様な、可愛らしい娘さんを描いた作品も展示がございます。
それぞれ違った女性像で、さまざまな表情を見せる 美人画 の連作です。( 作品サイズ:31.3×42.2㎝ )

 

『伽羅の薫』島成園・大正9年(1920年)大阪市立美術館蔵

『伽羅の薫』島成園・大正9年(1920年)大阪市立美術館蔵

 

こちらは、第二回(帝展)に入選した212.3×82.7㎝もの大きな作品です。
島原の遊女(花魁(おいらん))を描いた作品で、この人物のモデルは成園の母が務めたそうです。

エル・グレコの受胎告知を連想させる様な、
人物の形状を縦方向に大きく引き伸ばし、デフォルメされた女性が描かれています。
中央画壇デビュー作からこれまでの作と見比べて見ると、成園その人の作風からは飛躍した表現に見える為、
恐らく世間からは新境地の開拓、実験作、模索、挑戦的な試みとして捉えられたのではないでしょうか。
穏やかな女性像から一転です。
当時、この作品は賛否両論だったそうです。

父や兄も職業画家と言う環境の元で育った成園は、
自らも雑誌絵や挿絵等の、現代で申せば、グラフィックデザイナーとしての仕事もし、活躍をしていました。
だからこそ、売れる為の美人画(商業的な美術)を描きながら、崇高な芸術を求め、
内なるものを描き出そうとする純粋美術に早くから熱い想いを持っていたものと想像されます。

その試みの一つであったであろう『無題』が謂れなき非難を受けました。
当時の世相は『無題』の芸術性を理解せず、それどころか成園その人までを揶揄してしまいました。
どれ程 若き成園の心や画家の尊厳を傷つけた事でしょうか。
女性が男勝りに仕事で活躍する事は疎んじられ、きっと私達が想像する以上に生き辛かった時代です。

私には、成園が自分の殻を破ろうとチャレンジしている作品には見えませんでした。
時代から次第に追い詰められて行き、本来自分が求めていたものを追求する事が世相的に許されず、
この様な作品を描いて発表するより他なかった、そう感じられました。

この作品は遊女(花魁)を描いているとの事ですが、
モデルを務めたのが自分の最愛にして最大の理解者、成園の母であったからなのでしょうか、
性的なの妖艶さは感じられず、私には表情の中に優しさと哀しみが見えました。
この哀しみは、母娘のものだったのかもしれません。
画家としての不本意、未来への迷いが見えて、私は胸が苦しくなりました。
ただ救いを得たのは、この人物背後に光輪が描かれていた事です。

 

『若き夫人』島成園・昭和4年(1929年)大阪市立美術館蔵

『若き夫人』島成園・昭和4年(1929年)大阪市立美術館蔵

 

そして最後に、こちらの作品をご紹介させて頂きます。
150×41.5㎝の『若き夫人』と題された作品です。
展覧会場で、『無題』、『伽羅の薫』と並んで展示されています。

構図、衣装の描写は整理され、以前の成園の美人画スタイルに回帰した様ですが、趣は全く異なりました。
あの21歳の未来に対し希望と芸術家としての野心を感じた『祭りのよそおい』とは似て非なる作品です。
衣装の模様は平面的で簡略化されながらも、形の分かる様に描かれています。
しかし、人物の首から上、顔は今にも昇華して消えてしまいそうです。
私は驚きました。
(※ このボヤけた顔は、撮影時のカメラのピントがずれた訳ではございません。)

公の大きな展覧会に入選をし一躍注目を集めた一方で、その後、失意の落選も重ねています。
美人画を描けば技巧に頼り過ぎていると見られ、芸術性を追求しようとすれば揶揄され、
求められる様な挑戦をしてみれば酷評を与えられ、もう自分の志も信じた道も霧の彼方に消えてしまったかの様な、
そんな成園の心情がこうした絵となったのではないかと私には感じられました。
勿論、絵の世界の問題だけに限らず、成園の心と筆に影響を与えた要因は、
時代背景、夫の転勤による幾多の転居、戦争等、多くの出来事が関係しているでしょう。
もしも成園に絶対的な師匠の存在が有ったのならば、疑う事無く己の芸術を貫いて行けたのではないか、その様に考えてしまいました。

作風がこの様に変わったのは原点回帰では無く、未来に希望を持っていた頃の己の模倣としか見えませんでした。

 

 

『新錦絵帖 娘風俗十二ヶ月 処女の頃』柳原白蓮、島成園 (挿画)・大正11年(1922年)刊行

『新錦絵帖 娘風俗十二ヶ月 処女の頃』柳原白蓮、島成園 (挿画)・大正11年(1922年)刊行

 

『若き婦人』以降に制作された作品の展示は、昭和20年以降作とされる小品数点のみで、他は資料です。
(作品展示数:27点、資料展示数:17点)

成園が昭和45年(1970年)に78歳で亡くなるまでのその他の作品は、残念ながら本展には展示が有りませんでした。
それは、未だ画家・島成園の研究や、所在不明の作品の発見が途上である為だと拝察致します。(※ 会場スペースの都合上、残念ながら今回の出展を見送らた作品が数点あったそうです。)

図録に記載された成園の年譜を拝見してみますと、
グループ展や、師弟による二人展を亡くなるまで毎年開催する等、積極的に作品発表がなされています。
ですので、仮に大作は無いにしても、小品は多数存在している筈なのですが、
もしかすると大部分が戦争で消失したり、成園の名を知らぬ遺族が処分してしまっているかもしれません。
今回の展覧会開催が、それらの作品発見や、今後の島成園の周知や研究に繋がっていく事が期待されます。

 

島成園展を観覧し終えて、私が感じたのは『島成園の心の揺らぎ』でした。
画家として、人として、女性として。
沢山の感情を共にしました。
成園さんと呼んでしまえるくらい、身近に感じられました。

今は未だ小規模な展覧会ですが、間違いなく大きな一歩の 良い展覧会です。
是非皆様、成園さんに会いにいらして下さいませ(^_^)

 

🌸朗報🌸

展覧会場でアンケートに答えると、本展の素晴らしい図録無料で頂けます!残りが少なくなっているとの情報を頂きました。お早めのご来館をお勧め致します。
入場料は大人、僅か300円。(他の展示も観覧可能)
堺市の意気込み💪✨を感じました(笑)👏👏👏
有り難うございます。大切にさせて頂きます(#^_^#)

(※ さかい利晶の杜には、各展示会場以外にも、
有名カフェ☕️、お食事処 🍱、マニアックなお土産コーナー🎁、他🍵🍡、もございます。
詳細は同館ホームページにてご確認下さいね(^-^)

 

最後になりましたが、本展開催をご案内を下さいました堺市文化観光局 文化部 文化課の学芸員様、
並びにご関係者皆様、さかい利晶の杜でご対応を下さいましたスタッフ皆様に心より御礼を申し上げます。
有り難うございました(#^-^#)🍀
次回の島成園展ご開催、楽しみに致しております!✨✨

 

長い長い記事を 最後までお付き合い下さいましたあなたにも、有り難うございます

 

成園さん、有難うございました。
またお会い致しましょう!💐(^-^)/💐💕

 

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